チーム名改名 他

よくよく考えると、『藤枝ホナミンズ』はちょっとこっ恥ずかしいので『蓮美台ウイングス』に改名。^^;
由来は、上の句の『蓮美台』は「はにはに」の舞台である学校の名前、下の句の『ウイングス』は「はにはに」のメインヒロイン・天ヶ崎美琴が空から登場するシーンで背中に翼が生えていた(ように見えた)ことから名づけた。
ユニフォームは、メインの冬服カラーか6月〜9月の夏服カラーのどちらにしようか迷った結果、ビジターは夏服カラーでホームは冬服カラーに決定。
スタメンも考え直さなきゃなぁ。


阪神のユニフォーム
上の『蓮美台ウイングス』のユニフォームで思い出した。
阪神といえば球団発足当時から「縦縞」で有名だが、濃紺一色のユニフォームがあったことをご存知だろうか?
球団発足が1936年、当時まだ戦前で「東京巨人」(現読売ジャイアンツ)、「大阪タイガース」(現阪神タイガース)、「名古屋」(現中日ドラゴンズ)、「阪急」(現オリックスバファローズ)、「大東京」(改称・合併・撤退を経て現横浜ベイスターズ)、「名古屋金鯱」(合併・改称を経て1943年に解散)、「東京セネタース」(現北海道日本ハムファイターズ)の7球団。
当時はまだ、「プロ野球」ではなく「日本職業野球」という名前で、今の140試合ではなく30試合前後だった。
4年後、第二次世界大戦。その5年後の1945年8月15日に終戦
この時、まだ縦縞だった。
そのさらに3年後、1948年に濃紺一色のユニフォームが誕生した。
当時の阪神は、あの37インチという通常より20cm程長いバットを持つ、「物干し竿」と呼ばれた藤村富美男選手(故人)が在籍していた時代。
なぜ濃紺になったのかというと、当時はまだ戦後数年経った間もない頃で物資不足だった。
縦縞の生地を手に入れるのも困難という理由で濃紺一色になったそうだ。
オールドファンにかかわらず、阪神ファンなら結構知っている人が多い。
残念ながら、このユニフォームは1948・1949の2年間にしか使用されず、「ダイナマイト打線」と呼ばれた当時の阪神の打線も、主力選手が抜けてしまったことによって崩壊してしまった。(その翌年の1950年、日本プロ野球は2リーグ制となる。)
実は、47年から52年まで縦縞のユニフォームではなく白(ホーム)・灰色(ビジター)ベースの縞無しである。
濃紺のユニフォームが、今でも存在するならば一度お目にかかりたい。
当時の写真1枚とユニフォームの構図は、阪神タイガース公式ホームページに記載されているので、そちらを参照していただきたい。(他の時代のユニフォームも見ることができる。)
ダイナマイト打線」は我が『レイラクレッセンツ』が引き継いでいきたいと思う。


>コラム「真の二刀流プレイヤー」(スラッシュ的解釈)
まず、「二刀流プレイヤー」というのは、野手・投手両方出来る者のことを言う。
ある時は野手として活躍し、またある時は投手としてマウンドに立つ。
余程の経験を積み上げ、かつタフネスな者でないと成せる業ではない。
実際にこれをやろうとすると、かなりの時間を必要とする。
しかし、パワプロ界では、3年前のパワプロ8から再現できるようになった。
基本は投手として育成をし、ある程度の域に達したら野手面を育成していくといった方法だ。
またこれも上手くやらないと両方面でBクラス、下手するとCクラス以下の選手が出来てしまう。
では、ここから本題の「真の二刀流プレイヤー」に入ろう。
「真の二刀流プレイヤー」というのは、上の野手・投手両方が出来るだけでなく、スイッチヒッター(両打ち)・スイッチピッチャー(両投げ)のプレイヤーを意味する。
両打ち選手は知っているだろう。メジャーに渡ったメッツの松井稼頭央選手もその一人だ。
だが、両投げ選手はどうだろうか?
大抵、ピッチャーというのは右か左だ。
実際にいるのだが、あまり聞かないと思う。
ということで、両投げ選手が南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)にいたことを証明しよう。下のリンクを見てほしい。
http://members.jcom.home.ne.jp/darakyu/chikada.htm(2ちゃんより抜粋)
近田豊年選手は、データ上は両投げであるが本業は左。
右はプロで通用しなかったようだ。
だが、「右はプロで通用しなかった」とあるように両投げは事実である。
実は、両投げ投手はもう一人いる。
今年の第86回高校野球選手権地方大会、埼玉県の聖望学園に在学中の久保一等選手だ。
彼は、本業投手兼三塁手の4番。
「4番・投手」は大概2・3年生でどの高校にでもあるのだが、彼は違う。
久保選手はまだ1年生。高校野球界のスーパールーキー。
右では速球を投げ、左では変化球を投げる。
野手面でも、地方大会の1試合で5打数3安打2打点という4番らしい成績を残している。
今のままでも十分だが、右で変化球、左で速球を投げられるようになれば、2年後のドラフトではどこの球団でも欲しがるだろう。そこにスイッチヒッターが身につけば文句なしだ。
自分がスカウトだったらチェックの毎日、そして交渉に乗り出す。
久保選手の記事はこちらを見て欲しい。
両投げだけはパワプロで再現したくても出来ない。少なくとも2人は必要となってしまう。かつスタメンだ。
自分も両投げがやりたいと思って左投げを練習中だが、基本が右であるため上手く投げれない。
もっと努力が必要だ。
さて、両投げの話題が多くなってしまったが、両投げ両打ちが実現できればいかにすごいことか解るかと思う。
両投げ両打ち・・・これこそ「真の二刀流プレイヤー」と言えるだろう。
そして、これに名を付けるなら「テトラハンズ(Tetra Hands)」と呼びたい。


書きたいこと全て(じゃないけど)書いて、こんなに長くなってたのはちょっと驚いた。^^;<重たくてすんません。
ちなみに今日はクリスマスイブ。
何故それを出さなかったかは敢えて伏せておく。
家帰ったら、DROPSの「バカップル」聞いてやるー!(エンドレス)